関西大学、福岡女子大学の先生とゆるやかに行っている勉強会で話題提供をさせて頂きました。
テーマは『「主体的・対話的で深い学び」の場づくりとは?』。「(アクティブラーニング)」とも言われる「主体的・対話的で深い学び」についての議論はさまざまあり、批判的な意見もありますが、グループ・ディスカッションやフィールドワークなど、「何をするか?」に注視しすぎてしまってはいないだろうか?と感じます。「どんな活動をするか?」の前に、学生がその活動に向き合える場づくりを考えることも必要ではないだろうか?という問題提起をさせて頂きました。

今回の勉強会の告知案内文には以下のように書いています。

「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」は大学教育においても、さまざまな形で採り入れられてきている。この理念に異論はないものの、政策として 国がすすめる「国策アクティブ・ラーニング」は、教員が学習者との対話のなかで学習方法を選択する自由を奪ってしまいかねない、「対応・対策ありき」の形式的な実践、実践のマニュアル化に陥ってしまうことを危惧する声もある。
今回は、アクティブ・ラーニング型、PBL型講義を非常勤講師として担当している発表者が自身の経験をもとに、「主体的・対話的で深い学び」の場づくりをどのように試行しているかを紹介する。場づくりはディスカッションやフィールドワークなどの型だけでなく、学習者の心理、姿勢にも目を向け、働きかけていくことをも含む。学習者の学びを支援するファシリテーターとして、どのようなまなざしを持っているかを紹介したい。

大学の講義で小グループでの意見交換を行うと・・・
・先生の想定(期待)する「正解」を考えようとする
・他のメンバーに受け入れてもらえるような意見を言い、「私も同じ」と賛同を得て安心する
ような姿が見られ、「自分の意見・考え」を深めたり、向き合ったりする姿が見られないことがあります。それは
・これまでは「正解」を考える、発表することが求められていた
・メンバーから「引かれない」「反対される」ことへの不安や恐怖が強い
ことなどがあるのかもしれません。

ギブは社会的な相互関係のなかで4つの懸念があると言います。①受容懸念、②データの流動的表出懸念、③目標形成懸念、④社会的統制懸念の4つは、それぞれ①から順に発生・低減していくとしつつ、相互依存的に影響しあっていると言います。(詳しくは津村先生の「改訂新版プロセス・エデュケーション」などをご覧ください)
グループを形成すると、最初は「自分はここに居て良いのだろうか?みんなに受け入れられているかな?」と①受容懸念が起こり、それが低減すると次に「こんなこと言っても大丈夫かな?」と②データの流動的表出懸念が生じてきます。自分の意見を言っても良いんだという安心が得られると②は低減しますが、その後「このグループは何を目指すの?何をすればよいの?」という③目標形成懸念や「わたしがリーダーシップを取っても良いんだろうか?誰がどんな役割をするの?」という④社会的統制懸念がグループワークのなかで起こってきます。

こうした懸念は個人またはグループで克服していくのが成長につながっていきます。過度に介入することは個人やグループの成長の機会を妨げることになってしまうので注意(塩梅)が必要ですが、教員として学生が直面している懸念を念頭において、場づくりをすることが出来るのではないでしょうか?懸念の克服を応援するような支援的な声かけを全体に発するだけでも、学生がそこに向き合うことを促すことになったり、特に①や②の懸念が強い授業初期は、アイスブレイクを行い、関係性を築くことを重視するなども1つです。
場に対しての不安があるなかで、「自由に意見交換をしましょう」と投げかけるだけでは、自由に発言することは難しい。これは大人であっても同様ではないでしょうか?「今日は無礼講だから」「みんなの率直な意見を聴かせてほしい」と言われたからと言って、例えば職場の会議で今まで言えなかった想いを上司に投げかけるようなことは難しいのではないでしょうか?言葉かけだけでなく、行動できるための場づくり、という視点が必要ではないか?と感じます。


ファシリテーターがある場を企画する際には、テーマや目的・目標を設定し、それが達成できるよう、参加者がそこに十分に取り組めるようにプログラムを考えていきます。その際には、参加者がどんな状態か?課題やテーマの負荷は適当か?懸念や活動を妨げるような要因はありそうか?あれば、それを低減させるために出来ることはあるか?などを考えます。学びにおいても、学習者が十分に課題に取り組めるように場づくりを考えることは、「何をするか?」と同様に大切な視点ではないか、と考えます。