参加型開発はロバート・チェンバースがオピニオンリーダーとなって「開発援助の
プロジェクトや取り組みに住民が参加する」ことから「住民の日々の営みや開発
(発展)のプロセスに外部者が参加する」ことへの視点の変化などを経て80年代から
2000年代に議論が盛り上がっていたように認識しています。その参加型開発の実践
においてPRA/PLAという手法(あるいは思想)が生まれ、発展してきました。
以前、ソメシュ・クマールの著書紹介の中でも書きましたが、残念ながら分かりやすい
ツールが独り歩きし、「PRA/PLAのツールを使ったワークショップをすれば参加型」
という誤解も広がっていた時代もありました。

まさにそんな現場に直面したのが青年海外協力隊としてセネガルに派遣されていた
2005年の出来事です。村落開発普及員(現在はコミュニティ開発)として派遣されて
いた私は、同期の同じく村落開発普及員2名と共に、セネガルのローカルNGOが主催
する「参加型開発手法」の研修を受講しました(JICAが現地での技術訓練として
アレンジしていたもの)。そこでは講師のNGOスタッフがPRA/PLAの考えやツール
を紹介するとともに、実際に活動村を訪問し、私たちが村人を対象にツールを使った
ワークショップを行うという実践型の研修でした。大学でパウロ・フレイレやチェン
バースを学び、実践する機会が与えられたことに意気揚々と臨んだ研修でしたが、
そこで見た現実は、まさにテキストに出てくるような「これではダメ」実践でした。

NGOスタッフが模擬ワークショップを開いていたのですが、集まったのは男性ばかり。
集落の地図をつくるという簡単な説明が終わると、参加者の数人がペンを取り、
黙々と地図を描き始めました。どちらかというと年齢の若い男性が描き、年配の
男性たちはその作業を見ているだけ。会話もほとんど起きず、手慣れた感じで地図は
完成。完成した地図を描いていた男性の一人が発表し、他の男性は黙って確認。
発表が終わると拍手が起こりワークショップは終了。

「いったい、これのどこがPLAなのか?地図づくりは手段でしかなく、その過程で
それぞれが持つ情報を共有したり、意見を交換することにPLAの目的があるのでは
ないのか?Learning(学び)はどこにあるの?ここからAction(行動)は起きるの?」
私と共に参加したほか2名の同期隊員も実はイギリス留学経験があり、うち1人は
直接チェンバースの講義も受けていました。3人の落胆と不満を、そのままスタッフ
に伝え、大激論になりました。スタッフたちも自分たちはフランスのNGOから
ちゃんと研修を受けたというプライドもあり、正当性を訴えましたが、私たちは
納得せず、「やるからにはちゃんとやりたい」と強く主張しました。
結果、翌日の私たちの実践演習では男性だけでは意味がないから女性が参加できる
ようにしようと、忙しい午前をずらし午後に実施したり、年配の人がいると自由に
発言出来ない可能性があるから、敢えて若い人だけに集まってもらったり。
明かなスタッフたちの不満の表情も見られましたが、「PLAは手法ではなく思想
なんじゃないのか?」ということを議論しながら研修は進んでいきました。

後日談としては研修終了後、JICAに対して「こんな研修はやる必要はない」という
3人連名での報告書と提案書を出し、次の隊次からは中止となりました。替わりに
「だったら自主研修をやってみたら?」と提案され、私が研修企画者となって
JICA専門家の方にも講師を依頼し、セネガル、ブルキナファソ、ニジェールの3国
対象の広域研修として「参加型調査手法」の研修を行いました。
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研修はPRA/PLAのツールを紹介し、事前に使い方のワークショップを行った後、
隊員の任地をフィールドにして、受講した隊員がファシリテーターとなって村人に
ワークショップを行う5日間のプログラムでした。言語的なフォローをセネガル隊員が
担いつつ、試行錯誤のなか開催した研修でしたが、「ツールやワークショップを
きっかけに住民の持つ情報や意見、考えに耳を傾け、住民同士で共有すること」の
本来のねらいやそこでのファシリテーターとしての関わりについて体験していただけた
のではないか、と思います。


この時代から20年近くが経とうとしていますが、正しい理解が浸透し、目指される
取り組みが現場で実践されていると信じたいです。