ファシリテーションの評価からのファシリテーターの成長。
次は参加者からのフィードバックからファシリテーターが学ぶ点などについて
書いていきます。

◎参加者の視点:場の進め方、結論・成果に満足できたか?
 自身のファシリテーション、特に「いま・ここ」でのファシリテーターの関わり
の影響を受ける参加者からのフィードバックは、大変貴重な学びの資源であると
考えます。ファシリテーターとしての「いま・ここ」のプロセスの観察、判断、介入、
あるいは場づくりが適切であったかどうか?をふりかえることが出来ます。

総括するならば
 ✓場の進め方や議論・ワークショップで出された結論や成果に、
  どれだけ満足できましたか?

という問いに集約されると思いますが、細分化するならば、以下のような問いに
なろうかと思います。
 ・説明や進め方は理解・納得できましたか?
 ・自分の意見を十分に伝えることができましたか?
 ・結論や成果に満足できていますか?
 ・自分が参加した意義を感じることが出来ましたか?

1つ目の評価が低い場合は「いま・ここ」をみること、配慮することが出来ている
かどうか?をふりかえることが必要だろうと思います。説明や進め方が分からない、
納得できないということは、参加者を置いてきぼりにしてファシリテーターが強引に
場を進めたり、参加者の戸惑いに気づけていないという可能性があります。まず
参加者が「いま何をしているのか?これから何をするのか?」が理解できているか
どうか、表情やしぐさから確認をしたり、「分からないことはありませんか?」と
声をかけて確認することが必要だろうと思います。

2つ目は、1の視点に加えて参加者一人ひとりへの配慮が十分に出来ているか?
をふりかえることが大切です。理解力、判断力、作業力は人によって異なります。
問いに即座に答えられる人もいれば、じっくりと考える人もいます。自分の考えを
言語化することが得意な人もいれば、苦手な人もいます。そもそも意見を紙に書いたり
集団に発言したりという経験が少ない人は、緊張したり場にいることだけで不安に
感じている人もいます。そうした参加者個々人に気を配り、意見をまとめたり、
書いたり、発言することを支援したり、そのために必要な時間を設けたり、仕掛け
を用意するのがファシリテーターの役割です。
「自分の意見を十分に言えなかった」というフィードバックは、そうした配慮が
場全体に、あるいは個々の人に出来ていなかった可能性があります。

3つ目は、1,2の視点も含まれますが、合意形成や意思決定への手順や確認が
出来ていたかどうか?をふりかえる必要があります。合意形成や意思決定は
ときとして参加者同士が対立をしたり、「決めたくない」「対立したくない」ために
消極的になったりします。しかしそのための場であれば、ファシリテーターは
決めることを促す責任があります。対立や決定する責任から逃げることは避けなければ
いけません。あるいは対立を避けるために、多数決で決定してしまったり、
「これで良いですよね」と曖昧なまま、またはムードや議論の流れに委ねて決定
してしまうことも避けなければいけません。そうでないと「納得していないのに
結論や成果が出てしまった、ファシリテーターによってつくられてしまった」と
参加者が感じることになります。

4つ目は以上の総評とも言えますが、参加者自身が参加したことへの価値を実感できた
かどうか?です。これが低いということは参加者が場に対して、結果や成果に対して
のコミットメント(関与あるいは貢献)を感じられていないということですので、
ファシリテーターは場に対して、参加者に対して敬意や信頼を持っていたかどうか?
態度で示すことが出来ていたかどうか?をふりかえる必要があります。
いわゆる「アリバイづくり」「形式的な」場であったり、予め結果が定められている
「予定調和な」場は、参加者は敏感にそれを感じ取ります。「どうせ何を言っても…」
そんなあきらめや虚無感を抱かせるような場になっていないか?場の価値や意義、
場に集っている参加者への感謝や敬意をファシリテーターが感じているかどうか?
それを言葉や態度として示せているかどうか?を確認することが必要です。


ファシリテーターは「いま・ここ」を観察し、自身の経験などを基に判断し、
その上で適切だと考える介入方法を検討・決定し、実際に働きかけを行います。
そのどこに参加者とのズレがあったのか?あるいは誤解があったのか?ときに
それは自身の価値観と向き合うこともありますが、日々見直し修正することで
より熟達したファシリテーターとなっていくのであろうと考えます。
参加者からのフィードバックは、その学びを得る最も貴重な資源であると考えます。